知ること
10年前の今日、地震がありました。
東日本大震災です。
私は、田舎町の郵便局に行く途中でした。
ぐらぐらっとうねるような地震。
え、何ごと。
自宅に帰り、自宅のテレビを見て、もう言葉にできないような驚き。
娘は大学に在学中。一人暮らしをしていました。
大丈夫なのか、、心配で心配で電話をしましたが通じず、メールを送りましたが、返信は来ない。
連絡が来たのは、夜だった記憶があります。無事でよかった。心からほっとしました。
あれから10年。
私の職場でもその時間帯に黙祷を実施。上司から、職場にいない場合でもそれぞれの場所において黙祷をお願いします。とのこと。
それを聞いた20代のバイトの子が、「なんで、自宅で、、」と不満気。
職場以外の事まで指図されるのが不満だったのでしょう。
この事を娘に伝えて、「どう思う?」と言うと、「その子は小さなコミニュティの中で暮らしている人なんだね、身近に震災で被害にあった人がいないし、肌で感じる事がない生活をしているんだろうね。
私は、友達の家族や自宅が被害にあったりしてるから、身近に思うし、あの地震で失った色々な事が想像できる、だから、黙祷は当たり前だし、黙祷をそれぞれの場所でも、というお母さんの職場、会社の考え方は思いやりがあっていいと思う。」と言っていました。
私は今は亡き夫がいる頃、修学旅行生や学生の農業体験生を受け入れる活動をしていました。
生徒達は、一緒に農作業をして汗を流し一緒にご飯を食べ1泊2日。すっかり親戚のおじさんおばさんのように懐いてくれて、帰るときは、涙を流して別れを惜しんでくれる子もいました。
そんな生徒達に、我が家の自宅や会社の倉庫、または育てていた農産物が、台風で被害にあい、大変だったよと伝えたところ、
A君が言った事が忘れられません。
「俺、台風来たら学校休みになるから喜んでた、最低だな。
ここでそんな大変だったなんて知らないで。」
私の心の中にもたくさんの他人事があります。知らない事もたくさんあります。
知る事は心が繋がる事にもなるんだなと思います。


